中津構居
播磨鑑(宝暦12年)に梶原冬庵古城跡 大野郷在中津村 今農家ノ居屋敷ト成 鎌倉権五郎景政ノ末葉 天正年中秀吉ノ為ニ神吉ノ城に於テ討死ス とあり、播州古城記には、中津城 中津村 鎌倉権五郎景政の末葉 梶原十右衛門の居城他 天正中神吉式部貞範に従ひて討死す と記されている。 権現神社 (中津構居跡) 戦国時代の構居(豪族の館を防御施設にしていたもの)跡で、構守梶原十右衛門(冬庵)は、秀吉の神吉城(東神吉神吉)攻めの時に討死した。敷地内には、天和2年(1682)の銘が記された花崗岩製の灯篭がある。